名人肌の竹細工師喜助は、父喜左衛門の馴染みであった温泉町の娼妓玉枝と結婚する。しかし喜助は玉枝に『母の面影』を感じ手さえも触れようとしない。玉枝は一度の過ちからやがて死へと傾斜していく。聖母信仰ともいえる永遠の女性像を描き、巨匠・谷崎潤一郎にも絶賛された作品。
『越前竹人形』中央公論社1963年(昭和38年)刊。

越前・竹神部落は竹細工の産地。竹細工の名人といわれた父喜左衛門を失った一人息子の喜助は、ある日仕事場へ見知らぬ美しい女の訪れを受ける。かつて喜左衛門に世話になった、芦原の遊廓の娼妓玉枝。まもなく喜助と玉枝はささやかな式をあげる。
しかし何故か、喜助は夫婦関係を拒み続け、竹人形を作る事に没頭する。やがて完成した竹人形は玉枝への思いを形にした見事な出来ばえで絶賛される。そんな中、喜助の留守に京都から竹人形を仕入れに人形店の崎山が訪れる。崎山は偶然にも玉枝が京都の遊郭・島原にいた時の馴染みの客だった。崎山と玉枝は一度きりの過ちを犯し、玉枝は妊娠する。
胃を診てもらうと称して京都に発った玉枝は崎山を訪ねるが、残酷なしうちを受け、そのショックが元で宇治川の渡し舟の中で出産するが、うすうす事情を感じていた船頭の臨機の処置で胎児は川に流される。3日後憔悴し切った姿で帰ってきた玉枝は死の床につく。喜助の手厚い看病もむなしく玉枝はこん睡状態に陥り、2ヵ月後やがて息を引き取る。
喜助は玉枝の死後、越前竹人形の製作を止め、3年後自らの命を絶つ。

越前竹人形を読んだ谷崎潤一郎は毎日新聞に「『越前竹人形』を読む」と題した感想を寄稿し、作品を次のように激賞した。
「これほど興味深く読んだものはなく、古典をよんだような後味が残る。玉枝を竹の精にたとえてあるせいか、何の関係もない竹取物語の世界までが連想として浮かんでくる」
巨匠をも感動させた『越前竹人形』は、水上文学の一つの到達点といえる。

多くの小説の場合題材がありそれをもとに書かれるが、『越前竹人形』は竹人形が先にあって創作されたものではない。越前には竹人形師も居なければ竹を栽培する村もなく、「すべて空想の所産だ」(「ああ京の五番町」)。越前名産竹人形は小説が書かれたあと生まれたものだ。

作家・水上勉の想像力および創造力の豊かさに改めて驚かされる。





後に映画化や芝居講演
されたときのチラシなど




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